笑って誤魔化すけど、母がオーバーマウガウに行ったのは
1900年ではなく、1990年の間違い。
笑って許してね。
ついでに凄い旅をした伯母の話。
1922年に私の伯母(母の姉)は、ドイツ人のソーセージマイスターと駆け落ちし、
夫の生地南ドイツカルルスバードまで旅をし、
そこで数年住んだのち、また日本に食肉加工を広げるために
ヨーロッパ・アメリカ経由で函館に戻り住み、
晩年またドイツに移り住むも函館に戻り、1997に函館で亡くなっている。
と、書けば数行だけれど、当時としては凄いことだったらしい。
彼女の姪のなかでも最年少だった私は、函館に行く度、
ヨーロッパから持ち帰ったものを見せてもらったり、
昔話を聞いたり、とても可愛がってもらった。
私にとってその経験は人格や物の好みに大きく影響しているように思える。
当時国際都市と云われた函館にあっても
伯母の結婚は大スキャンダルだったそうで、
街中の誹謗中傷噂話が家族を傷つけ、
戦争中は特高に見張られ、全財産を没収され、迫害され、
だから親戚達はみな目立たぬよう、ひっそりと暮してきた。
それでも私の親戚たちは、ドイツからのガラスを磨きかざしては
美しいと感嘆しつつ暮してきた。
その想い出が私をもガラス好きにさせたと思うのだ。
伯父と伯母の結婚写真

伯母の家族。函館にて昭和12年頃

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- 2010/10/19(火) 15:54:05|
- ガラスを作る
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お蕎麦屋さんでちょっと前の文春を流し読みしていたら、
林真理子さんの随筆で、今年オウバーマウガウに行ったことを書いてあって、
しばし呆然としてしまった。
今年がオウバーマウガウの年だとは、忘れていた自分が情けない。
1900年敬虔ではないがクリスチャンだった母は、オウバーマウガウの受難劇を観に
ドイツへ旅をしてきた。
10年に一度、ドイツの片田舎の村の住人だけで執り行うキリストの受難劇のオペラ。
帰国してから母は熱に浮かされたように、日々その素晴らしさを語ってくれたのだけど、
旅の疲れだと思っていた微熱が続き、検査をしたら重篤な病がみつかり、
その3年後亡くなってしまった。
母はお土産はほとんど持たずに帰ってきたのだけれど、
私には小さなグラスを買ってきてくれた。
でも今は手元にはない。
母の残したものを皆で分けたとき、欲しいと言った者に上げてしまったから。
私は最後まで母と暮した時間が時間が形見だったから、
モノなどどうでもよかったのだ。
すぐ後悔したけど、返してとは言えず、
じゃあいつか私もオウバーマウガウに行って、同じようなグラスを買ってこようと、
その時おもったのだけれど、
2000年は子供のことで忙しく、2010年はとんと忘れてしまい、
覚えていたら2020年、生きていたら2030年にでも行ってみたいものだ。
そしてそれまでこのブログが続いていたら、
母にもらったのと同じローゼンダールの小さなショットグラスを
貼るとしよう。
その代わりというわけではないが、
母と私の娘が函館に旅行に行ったとき、母が娘に買ったガラスのハイヒール。
今は娘の代わりに私が大切に保管している。

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- 2010/10/17(日) 23:06:45|
- ガラスの独り言
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ここではない何処かに住むならどこがいいか?
などと想像するときが幸せだ。
宝くじ1等当選したら、何に使おうか?
なんて想像するときもそう。
一瞬で現実に戻るけど、現実逃避にはもってこいのお題だ。
カルホルニア、デリー、カンヌ、那須、パリ
気が向いた土地に好きなだけ住んで、その土地での恋が終わると同時に
次の土地へ、、なんて夢想するも楽しい(照)
今住みたいのは舞浜。
舞浜には友人がギャラリーを開いているので、良く行くのだけれど、
この前行ったらこんなのを見せてもらったものだから、
こりゃ舞浜に住まなきゃ!

どうやら浦安のゴミ焼却場にはビーナスプラザという施設があって、
ゴミ焼却に集まる瓶の再利用で吹きガラス教室や、布の再利用で織物教室など
ゴミのリサイクルをアートに展開しているらしいのだ。
市の施設なので利用料も格安とのこと。
友人の作った、割れ目も恥ずかしいペーパーウエイト。
これはどうもいいちこ製らしいとのこと。
だっていいちこの瓶だけが、ずら~っと並んでいたわよ、、って言うので
確かめに行かなければ。
この施設を利用するのは浦安市民に限られているそうな。
やっぱ、引越そうかな。。
舞浜には大好きなイクスピアリのラドログリーもあるし、、、
な~んて夢想する時間が幸せなのよ。。
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- 2010/10/12(火) 12:09:24|
- ガラスの独り言
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1日友人にお嬢ちゃんが誕生したとの吉報が届いた。
10月生まれで、臍の緒が首に巻きついていた女の子というだけで、
私は仲間ができたように嬉しい。
私もそうだから。。
別の友人のお嬢ちゃんは腕に臍の緒が巻きついていたとかで、
いつもタオルやマフラーを左うでにぐるぐる巻いていたし、
立って歩くようになると、紙袋でもママのバックでも左腕に下げるのが大好きだった。
よちよちの女の子が、まるでケリーバックを持つグレースケリーのように
ぴしっとキメテ紙袋を持つさまに、さんざん楽しませてもらったものだった。
今もだけれど、私も首に巻きつけたりぶら下げたりするのが好きだった。
小学生のころ、鍵っ子の友人が首から鍵をぶら下げているのが羨ましく、
鍵など掛けない我が家の鍵を探し紐を通してぶら下げたものだった。
マフラーやスカーフはかつても今も必須アイテムだ。
ネックレス、ペンダントを付け忘れた日の心細さといったら。。
そんなこんなも、胎児の頃首に臍の緒が巻きついていた頃の感触の記憶に由来するのかもしれないと
思うのだ。
ガラスのネックレスは重たいのが難点だ。
でも重たくても肩が凝っても着けるのが、ファンキーな姥の心意気でしょ。

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- 2010/10/08(金) 17:37:31|
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